「ヒト」の能力を測るために、資格はどこまで必要でしょうか?
皆さんは、「文章力検定」ってご存知ですか?
ある会社で、新卒が一般社員に昇級するために、「文章力検定」が導入されました。
文章力検定の例題は、下記リンク先にあります。
問題例 | 審査基準・合格基準と各級の問題例 | 文章読解・作成能力検定
私は、自力で国語以外の成績は上げることができたのですが、国語だけはどう頑張っても、他の科目のようには成績が上がらなかったので、この手の試験は苦手意識が働きます。私が受験したら、4級すら合格できる自信がありません。
文章を作成する能力は、社会人として必須であることは言うまでもありません。
しかし、社会人になったあとに、一般教養レベルの資格保有を義務付けて、企業にどれだけのメリットがあるのでしょうか。
今回、このルールは、新卒で入社した方のみが対象だそうです。中途採用者や、既に在籍している社員は対象外のようです。
今年入社した新卒は、そんなに文章力がないのでしょうか?この会社の新卒は、有名どころの立派な大学院出身ばかりですが。。。
この制度の導入で、部署によっては、業務時間中に受験勉強をする人も出てくるかもしれません。そして、それを許容する上司と許容しない上司に別れるでしょう。その辺のルールは規定されていないようですので、昇格ルールが明確ではなかった時代に管理職になった方々の裁量で、基本的にハンドリングされるようです。
なんだか「ヒト」のキャリアが、複雑な日本の年金制度と同じように思えてきました。
既に制度を利用している人には適用が除外され、上手くいかない点は若い人たちにしわ寄せがいくイメージです。
こういう制度があると、何もかもルールに縛られて、まーるい頭がシカクになってしまいそうです。
そして、こういった制度が揃っていると、多様化・ダイバーシティとかいう言葉は無縁になり、日本独特の教育に忠実な、画一化した「ヒト」ばかりの集まりになりそうです。
こういう環境では「ヒト」が生き生きと働くには程遠い、と感じるのですが、そう感じるのは私だけでしょうか。