「ヒト」が生き生きと働ける環境を考えるブログ

私が約17年間勤めた会社を辞めようとしている理由と、まつわる原因を分解していきます。経営者や管理職の皆さんに、ふと考えて頂きたいことを記事にしています。

私が仕事を通して得た、感動とやりがい(上司編①前編)

今の私の存在を振り返るときに、この方の存在をなくしては語れません。私が20代半ばから30代前半の約10年間、私の直属の上司であった方(男性)です。

 

私がこの上司のチームに配属された当初は、上司は入社3年目でちょうど管理職になった頃、私は入社2年目で東京から大阪に異動したタイミングでした。

この当時は、今所属する会社は、まだ従業員数200人前後の中小企業で、平均年齢も若かったことから、私より10歳年上の上司は、前職の経験も活かしながら、徐々に重要なポストに配置されていきました。

 

私は駆け出しの頃でしたので、とことん色々な視点で指導をしていただきました。(その当時は、私も血の気が多い若造で、「いちいち細かいことまで、うるさいなー」と内心思いながら、担当業務をこなしていましたが。)

 

今、振り返ると、私の視点では、以下のような大きな節目がありました。

①赤字を膨らませていたProjectを私が担当することになり、ホウレンソウとPDCAを繰り返しながら、短期で黒字転換させた。(上司にダメ出しをされる都度、悔し涙を流しながら乗り越えた期間

②チームで初の試みとなるProjectに抜擢され、立ち上げからProjectの終了まで一貫して任せていただき、顧客の信頼も得て大成功。(Projectリーダーとしてのイロハを、1から10まで叩き込まれた期間。もちろん、ここでも重ねてダメ出しを受ける

③Big Projectを統括していた先輩が精神的にダウンしてしまい、後継に私を起用。2か月で業務を立て直し、その後、年に1度のメインイベントも無事に成功。(今考えると、Projectマネージャーとしての素質を試された期間。期間中、最大の修羅場での上司の無理難題の方針開示に、私は上司の目の前で自分の机や椅子を蹴飛ばして反発したことも。。。

 

細かく書けば、間にはもっと色々なことがありましたが、約3年間でこれらの経験をさせていただき、私は課長職に昇格となりました。

この上司の下には、もちろん私以外の部下も沢山いました。他のメンバーも、色々な思いをしながら乗り越えた人もいましたし、ついていけずに会社を去っていった人もいました。

当時は「もう少し、業務の担当者の立場に立って、違うことを言ってくれたら・・・」と思うことが度々ありましたが、上司の立場では、組織目標達成のために、部下を底上げするために、1人1人の強みを把握しながら成長の機会を与えてくれていたのだと、今なら理解することができます。

 

当時の私は1人暮らしでしたし、今のように残業制限が徹底されていたわけでもなく、私は朝8時には出社し、夜は10時過ぎまで仕事をするような生活をしばらく続けていました。

これは、これだけの時間が必要なほど業務がたくさんあったのではなく、上司からのフィードバックを受けて「見返してやる!」と思いながら対策を練ったり、今までとは違う取り組みを承認してもらうための提案資料を作る、といったことに時間を割いていたように記憶しています。

上司からすると、「アイツは、また何かやろうとしているな」といった印象だったのではないでしょうか。(後日談によると、私は事を開始すると、すごい勢いで突き進んでいくので、暴走しても見失わないよう、凧糸をつないで泳がせているイメージだったそうです。)

 

また、当時の私の立場でも後輩が何名かつき、教育する立場にあったので、よく「次は何を担当してもらおう?」「もう少しすると、この業務がピークになるから、これをやりきるためのトレーニングをしておかないと」とか、後輩の成長に関することも常々考えていました。

こういったことは、本来、上司の計画の中に入っていたはずですが、実は私は、この手のことはあまり上司には相談せず、自分本位で後輩を育ててしまっていた記憶があります。

 

こんな過程で、この上司とは、飲みながら色んな議論をする機会が増えました。

管理職になってから、1つ重要な質問をしたことを覚えています。「なぜ、私を課長職に昇格してくださったのですか?」と。

 

上司の回答は

「君が一番、チームのメンバーの育成に力を入れているからだ。チームの状況を聞くと、まずメンバーの成長状況を報告し、今後の展望について話をしてくれる。他のメンバーとは、そこが大きく違う」

とのことでした。

 

私は、仕事もそれなりにこなし、教えられる力を身につけてきたことは自負していましたが、まさか、上司にあまり自発的には相談していなかった「人材育成」が、評価の最大のポイントであったとは、夢にも思いませんでした。

しかし、今となれば、組織において一番重要なのは「ヒト」であることは当たり前です。その姿勢を上司が評価してくれていたことに、とても感動しました。

 

まだまだ書きたいことがあるので、後編に続きます。