「ヒト」が生き生きと働ける環境を考えるブログ

私が約17年間勤めた会社を辞めようとしている理由と、まつわる原因を分解していきます。経営者や管理職の皆さんに、ふと考えて頂きたいことを記事にしています。

母親失格事例?

先日、息子の自然治癒力に期待し、軽症だったこともあって診察を受けずに過ごしました。 詳細は、以下の記事です。

bluemiyumiyu.hatenablog.com

 

今日は息子の誕生日で、主人と私が父親と母親になった記念日です。

その記念日に、標題タイトルで記事を書くのは少々情けないのですが、今日は、母親としての反省点を記録しておきます。

 

今回、以下の推移で息子(平熱36.3℃)の体調が変化していきました。本人の自覚症状と体温が頼りで、他覚症状は喉の赤みのみでした。

  • 日曜日:夜、腕(脇のあたり)の痛みの訴えあり(ソフトボールとゲームのやりすぎだと思っていた)
  • 月曜日:夜、腕(脇のあたり)の痛みの訴えあり(ソフトボールとゲームのやりすぎだと思っていた)
  • 火曜日:夜、腕(脇のあたり)と首の痛みの訴えあり(ようやく、リンパの痛みだと気づく)。体温36.9℃
  • 水曜日:体温37.3℃、学校を休む。首の痛み出現から24時間以内に診察を受けようと予約するも、待ち時間と症状の軽さの狭間で悩み、診察を受けないことを決断。
  • 木曜日:体温37.0℃、学校を休ませる。腕・首の痛みはまだ少しある様子。喉が赤い。
  • 金曜日:体温36.9℃、学校を休ませる。喉の赤みは多少残っている。夜、学校から電話あり、月曜には登校できるだろうと報告。
  • 土曜日:体温36.9℃。平熱ではないが、本人は元気。予定していた、早めの誕生日祝いを決行。食欲あり。
  • 日曜日:体温36.7℃。明日は登校できるよう、今日まで安静を指示。
  • 月曜日:体温36.7℃。朝食で食欲不振を訴える。泣くほど辛い?様子。学校を休ませる。留守中、置きっぱなしにしていたゲーム類は、登校できるまで安静のため禁止とした。夜、学校から電話あり、明日は行けるはずと報告。
  • 火曜日:体温36.7℃。食欲も問題なく、無事登校。

病院に行っていないので、結局、風邪だったのかインフルエンザだったのか、わかりません。インフルエンザは、体内にウィルスが沢山ないと、検査しても検出されませんから、治りかけで検査しても意味がありません。

 

昨年、娘が熱の出ないインフルエンザに罹患しました。その時は、薬をいただいて翌日には元気になり、5日後に登園許可書を書いていただいて登園しました。

今年の息子の場合、症状があった翌日から5日経ち、月曜には登校可と考えていました。月曜の食欲不振は、単に休んでゲームをしたかっただけでは?と疑いたくもなりました。水曜から金曜の留守中は、一度も電話をかけてこなかったのに、月曜の留守中は「淋しい」と電話をかけてきたからです。

 

ただし、月曜の時点では、インフルエンザの検査をタイムリーに実施してもらわなかったことを後悔しました。

一番の理由は、学校への報告が曖昧になったことです。

 

インフルエンザに罹患した場合は、学校保健安全法第19条に基づき、出席停止の扱いになりますので、学校にとっては、インフルエンザなのかどうかは、重要なのだと思われます。

ただ、先の記事で紹介した医療従事者側の見解では、しっかり休めば治るので、必要日数休めば良いのです。

 

ややこしいのは、学校保険安全法で、インフルエンザの場合の出席ルールが決まっていることです。

よく考えると、法でそこまで決めてるのは、おかしいのではないか?と感じるのですが、それが決まっているのですよね。みんな、インフルエンザを特別に気にして当たり前の世の中です。

 

ただ、医療関係の端くれとして働いている私は、

  • 医療現場の負荷は減らしたい。
  • 医療費高騰は防ぎたい。

と、思っていました。

わかりやすく言うなら、医療現場の働き方改革に貢献したかったのです。

 

しかし、結果的に、学校への連絡も曖昧で、息子の状態もよくわからず、月曜は不安がいっぱいになり、診察を受けなかったことを後悔しました。

この点、「母親失格かも」と、思ってしまいました。

 

医療現場の皆さまには、大変申し訳ないですが、今の世の中のルールでは、診察を受けておかないと、社会的に生きづらいです。

 特に、インフルエンザが流行している時期の感冒症状は、診察を受けていないと、周囲の関係者に安心してもらえません。

 

今ある世の中のルール、必要な知識と他人を思いやる気持ちがあれば、不要とすることができるルールが沢山あるような気がしますが、新たな事例が登場するたびに、新たなルールが登場しています。

それだけ、自分中心(自分の利権優先)で物事を考えてしまう社会であるのだろうと思います。

 

なんだかんだ言っても、いざとなれば私も家族優先です。

医療現場どうこうと一人で言ってても、社会のルールは変わりません。

大量の情報が溢れ、様々な価値観が交錯する中、自分が生き生きとできる環境は自分で作っていくしかないと、こういったことからも感じました。

 

子を持つ親にありがたいフレックス制度(インフルエンザが流行るこの時期は特に!)

今週は、月曜から息子が「腕(脇のあたり)が痛い」と言っていました。

「土日に、ソフトボール頑張り過ぎ?DSで遊びすぎ?」と、2度の訴えはスルーしていたのですが、3度目は「首も痛くなってきた」と言いました。

 

「リンパが痛いのか!! インフルエンザかも?」

 

息子のことを、漸く病気扱いをしてあげることができました。

 

ただ、熱を測っても微熱程度。喉も赤いことは確認しましたが、他に調子が悪そうなところもなく、見た目は元気そう。

でも、痛いと訴える程なので、本人の違和感は半端ないはずです。

しかし、仕事を休む余裕もなく、水曜は「やらなきゃいけない仕事だけやって帰ってくるから、留守番しててね」と、留守番してもらいました。

 

水曜の夕方、検査をしておいてもらおうと小児科を予約すると、受付開始10分後にも関わらず50人待ちでした。診察予定時間は21時です。

えー(*_*)と思いながらも、インフルエンザかどうか検査しておかないと、他人様に迷惑をかけるかもしれないし、、、と、診察時間を待ちました。

遅い時間で、主人が帰ってくるかどうかも微妙な時間ですし、元気な娘も一緒に連れていくことになります。小児科で感染する心配もあります。

 

ふと見ると、予約した小児科のHPで、インフルエンザ時の対応についてのメッセージが目にとまりました。

要約すると、

軽い(高熱が出ない)インフルエンザくらいで、診察に来るな。

生死の心配がないなら、栄養を取って安静にしておけば、薬を飲まなくても治る。

といった内容でした。

 

「確かにそうだよな」と思う一方、「診断してもらわないと、学校を何日休ませれば良いかわからない」と思いながら、診察を待ちました。

 

しかし、小児科のメッセージが気になり、どうしようか悩みながら調べていると、以下の記事に出会いました。

www.huffingtonpost.jp

こちらの記事を拝見し、私は決断しました。

  • うちの息子の症状は軽いので、診察を受けるのはやめよう。
  • もしかしたらインフルエンザかもしれないので、必要な出席停止日数分は、親の判断で学校を休ませよう。

 

息子は、学校を休みたがっていたので、病院にも行っていないのに3日連続学校を休めて大喜びです(^^;

その代わり、母も仕事を休める状況ではないので、木曜も金曜も1人で留守番です。

ただし、当日にやらなくてはならない仕事だけ済ませて、帰宅することにしました。

 

とはいえ、月末月初で、何かと仕事はあります。

水曜は10時ー12時、木曜は10時ー15時、金曜は10時ー16時30分の間、仕事をしてから帰宅しました。片道1時間の通勤時間がかかるので、退勤1時間後に息子と再会です。

 

3日間、リンパの痛みはマシになったのかどうか、毎日微妙な反応でしたが、インフルエンザかどうか怪しい時期でなければ、木曜は登校させていたと思います。

しかし、これだけインフルエンザが大流行している現状は、これまでは病院には行かなかったような症状でも、学校やこども園に行かせるか悩む働く親が、インフルエンザ患者を増やしているのではないかとも思いました。

 

水曜は、20時頃に決断して、予約をキャンセルしました。

その時点で、予約待ちがまだ50人いました。夜中の23時まで診察が行われる計算になります。小児科医が、先のHPメッセージを記載した理由も理解できます。

 

 

私が所属する会社にはフレックス制度があり、本当にありがたかったです。

万が一のときのために、少しずつ消化している有休も使わずに済みました。あと数日しか残っていないので、長時間1人で留守番できるようになった小3の息子にも感謝です。以下の記事以来の、連日の長時間留守番でした。

bluemiyumiyu.hatenablog.com

 

そばに居てあげたいときに、居てあげられないつらさはありますが、その分、その後に甘えて来るときは、いつも以上に応じます。

息子がこのように、軽い症状なら頑張ってくれるので、仕事を休むリスクは年長の娘の体調不良のみになってきました。

病児保育室の利用頻度も減らしながら、フレックス制度を活用し、ココロに少しゆとりが出てきたことに、我ながら安堵しました。

そして、子供がどんどん自立していくことを実感し、嬉し淋しい気持ちがあります。

 

 

※この記事の続編を、以下の記事に記載しています。

bluemiyumiyu.hatenablog.com

 

健全な働き方とは?

先日、以下の「社畜ミュージアム」という動画を知りました。かなり話題になっていますね。

こちらは、経済産業省所管の「独立行政法人 中小企業基盤整備機構」が作成したものだそうです。

youtu.be

 

ちなみに私は、こちらの動画について、以下の記事で知りました。

記事に対するコメントを拝見しまして、この動画や記事について賛否両論あり、世の中、本当に色々な考えの方がいるのだなーと、改めて感じました。

business.nikkeibp.co.jp

 

私にとっては、とても分かりやすい動画でしたが、中小企業基盤整備機構が作成された中小企業向けの動画のためか、私の周りとは少し違うのかも?と感じる点もありました。

 

  1. お手上げスライダー:これは「あるある」でしょうか。私はよくやってるかもしれません(^^;
  2. 戦慄のミッドナイトコール:これは、業種や職種によっては必要なことがあります。例は、理不尽な顧客からのコールですよね。本当にあるところではこういった事例はあるのでしょうか。
  3. 進捗モンスター:これは、進捗を報告していない方が良くないと思うのですが。報告しているのに、更に進捗を問われるのなら、上司は病気を患っているのかもしれないですね。
  4. 寝てない自慢大会:これは「あるある」です!私の周りにも会議時に自慢する上司がいました。寝てない自慢は、部下にいい影響はないです!
  5. はじめまして、ごめんなさい。:何もわからない状態で謝罪に行かされるのはマズイですけど、私も「はじめまして、ごめんなさい」の経験はあります。
  6. 居残り部長:こういう文化、未だにあるのでしょうか?困りますね。ちなみに、部長ではないですけど、居眠りしている方、コストセンターには結構います。プロフィットセンターでは、あり得なかったのですが。
  7. 月曜、襲来。:これは「あるある」でしょうか。絶叫に至るのは精神的に支障を来されてしまっていますね。非常にマズイ状況ではないかと思います。

 

社畜」という言葉、嫌な表現の言葉ですけれど、的を得ていると思います。代表権を持つ社長以外、会社員は会社に雇われているのですから。

そして、会社内では「自分らしく振舞えない」「人間らしい生活が送れていない」と感じる人が増えてきているから「社畜」という皮肉った言葉が生まれてきたのだと理解しています。

その背景を踏まえて、今回の「社畜ミュージアム」を振り返ると、1人のサラリーマンが、精神的に追い込まれてしまうシナリオが描かれていると感じました。

 

今回の動画の事例は、いずれの例も「経営者」「管理職」の言動が全ての原因であると思います。

上に立つ者がどういった言動を取るか次第で、「ヒト」であると感じて仕事を進めることができるのか、「社畜」と感じて会社を離れることを考えるようになってしまうのか、といった「ヒト」の道が分かれていくのだと思います。

 

この動画も「働く人をもっと笑顔に」という想いで締めくくられています。

そうですね。笑顔で仕事をしている「ヒト」は少ないかもしれないですね。

上司は部下に対して、「ヒト」としてフェアな位置を保ちながら、上司として適切に指示命令を行っていただきたいと思います。

 

そう、「ヒト」として公平に接するということは、役職を持つと難しい「ヒト」が多いのかもしれないですね。

偉くなったと感じると、「ヒト」を支配したくなるものでしょうか。そして、その気持ちが、無理難題を「ヒト」に押し付ける原動力になっているのかもしれません。

 

現在、働き方改革の議論が盛り上がっていますが、残業時間や副業といった就業規則の整備をする以前に、経営者や管理職の部下への接し方を議論したほうが、健全な世の中になるのでは?と感じたりします。

ただ、「ヒト」が変わることは、歳を重ねれば重ねるほど難しいことですけれど。

 

しかし、就業規則がいくら変わっても、無理難題を容赦なく発言する上司がいる限り、状況的には何も変わらりません。

規則が細かくなることで、弱い立場の「ヒト」は、ますます追い込まれることになると思うので、自分で自分の身を守ることを考えていくしかない気がします。世知辛いですけれど。

 

しばらく、涙がとまりませんでした。

またまた、元部下の退職情報が入りました。

今回は、退職する本人が「今日が最終出社日となります」と言って、私のデスクにやってきました。

それまで、彼女が退職することを、誰からも聞かされていませんでした。

 

彼女は、私が部長時代に採用した、3カ国語を操るバイリンガルです。

あらゆるコミュニケーションが必要となるこの時代に、言葉を自在に操るスキルは貴重で、それに加えて働くことに対する意欲が高かった彼女は、熱心に専門業務を習得していきました。

一児の子供を育てながら仕事に励んでいましたが、入社して1年半後に2人目を授かり、2017年の春まで育児休暇をとっていました。

復帰したときには、直ぐに私のところにきて「復帰したら、あおみゆさんが居なくてビックリしました」とコメントしてくれました。

 

私が前にいた部署の業務は、1人平均8Projectくらいを担当して業務を進めており、1つのProjectに様々な異なるプロセスを抱えているため、スキルとリソースを考慮した配置をどうマネジメントするかは、とても重要でした。

彼女は貴重なスキルを持っているので、リーダークラスのメンバーは、自分のチームの専属にしたくて仕方のないような人材でした。

 

私は、成長スピードの早いそういった人材だからこそ、任せる仕事にも配慮し、実施する仕事の意味と価値を理解してもらい、着実にスキルアップさせていきました。

「成長スピードの早いそういった人材だからこそ」といった、特別扱いをしているような言い方をしましたが、彼女だけではなく、部下全員に同じ視点で接していました。「ヒト」それぞれの強みを最大に活かすことを、常に考えていましたから。

 

今回、彼女は退職の挨拶をしにきたときに、「あおみゆさんと仕事をしたかった」と言いました。

2月からは、競合他社で仕事をするようです。

以前記載した、以下の記事と同じようなパターンです。

bluemiyumiyu.hatenablog.com

 

私は、このブログのタイトルにも記載している通り、「ヒト」が生き生きと働ける環境に、とてつもない拘りを持っています。

でも、それが叶わない「ヒト」は退職を検討していくように感じます。

しかし、退職者が増えるのは、会社としては良くありません。

 

私は、彼女が立ち去った後、色々な想いが頭の中を駆け巡り、仕事中なのに、しばらく涙がとまりませんでした。

  • 私のマネジメントの仕方は、おかしかったのだろうか。
  • 私がいないと存在できない組織を作り上げてしまっていたのだろうか。
  • 私が作る組織は、世の中には通用しない組織なのだろうか。
  • 未来に期待させて人材育成していたのに、自ら当の組織を離れた私は無責任極まりないのではないか。
  • 会社から見れば、私のような発想の「ヒト」は有害でしかないのではないか。

このように、 私が退職者を増やしている根源なのではないかと感じてしまいました。

 

一瞬で色んな記憶が蘇りました。

こうして振り返っている今も、目頭が熱くなって目の前が滲みます。

 

ちょうど今日は、退職する彼女と話した後に、Y子さんという、人事部所属で大阪の人材採用窓口をしている方と話をする機会がありました。

彼女は、私が今の部署に異動したときに「あおみゆさんが私の上司だったらいいのになーと思っているので、人事部に異動してきてほしいです」と。

そして今日は、「私が復帰したら、大阪の人事トップに異動していてくださいねー。」と言われました。彼女は、2月から産前産後休暇に入ります。

 

周りには、私と仕事をしたいと言ってくれる部下や会社関係者がいます。「ヒト」中心の組織に魅力を感じてくれているのだと思います。

しかし、私の今のライフスタイルでは、期待に応えられるポジションでの活躍は、自分の首を絞める結果になることがわかっています。だから、組織のマネジメントを行うポジションは、打診があっても断っています。組織の中の、1つのチームをマネジメントするくらいしか、今の私には余力がありません。

一方で、私が苦手とする組織(「カネ」中心の組織)は、部長を筆頭に、機械のように黙々と仕事を続けています。会社を辞めていく人や異動願を出す人もいますが、その部署で優秀だと言われている方は、長いこと同じ組織・同じメンバーで仕事を続けています。

 

後者の「カネ」中心の組織が正しいのだろうか?と、今日、初めて思いました。

 

しかし、やはり私はそのような組織では存在し続けることはできません。頭がおかしくなりそうです。思い出すだけで、思考が停止してしまいます。

 

色々な「ヒト」がいますよね。

会社で、組織で、どうあるべきなのか、会社・組織ごとに違うのでしょうね。

そして、自分に合う環境を求めて、異動したり転職したりするしかないのですよね。

 

今日半日、こういったことが頭から離れませんでした。

気持ちを切り替え、私は私らしく、これからも生き生きと働ける環境を、自分の周りから構築していきたいと思います。

 

部下にどこまで仕事を任せるか。

人材育成と、業務遂行の狭間で、部下にどこまで仕事を任せるかは、皆さま、日々悩まれる部分かと思います。

 

私は、上位管理職の方々の想い・戦略と、部下自身の想い・キャリアを考慮してチームのプランを立てるとき、沢山のアイデアが浮かびます。

ただ、今のチームにおいて、1つだけ不足している情報が、「チームのメンバーがどのくらいの力量を持っているのか?」という点です。

 

これは、本人からのヒアリングだけでは不十分で、これまで当人と接してきた上司・先輩からの情報や、これまでの本人の成果物などから力量を判断していきますが、私自身に該当分野の知識が不足しているために、十分に判断できないこともあります。

 

最近、始動したProjectにおいては、これまでの責任者が、部下の力量を十分に把握していなかったことによる結果が、悲惨な状況につながりました。

どれくらいのチャンスとコストと時間を垂れ流していたのか、想像もできません。

 

具体的には、

  • スタッフの力量の過信による、Project進捗遅延
  • 報告結果を鵜呑みにした結果の、業務改善内容の陳腐化
  • 改善が進まないことによる、不十分な事業戦略・経営戦略の立案
  • 競合他社との格差縮小・自社の優位性の低下

と、いったところです。

 

売上と利益に換算したら、どのくらいのインパクトがあったことでしょう。

私が所属する会社において、プロフィットセンターではスキル評価が必要不可欠でしたが、コストセンターではそれがないです。

一般的には、コストセンターでも、スキルの評価はなさっているのでしょうか。

 

いずれにしても、これ以上の損失は回避した方が良いに決まっているので、こまめに部下の成果を確認しつつ、任せる範囲を広げていきたいと思います。